男はつらいよは全48作作られています。
その男はつらいよの映画全48作を視聴できる動画配信サービスがあります。
正式サービスなのでもちろん違法行為はありません。
この記事では懐かしのフーテンの寅さんこと男はつらいよの動画の全48作を無料で視聴する方法を紹介します。
もくじ
男はつらいよの動画の全48作を無料視聴する方法
男はつらいよには思い入れのある方も多いのではないでしょうか?
1969年から1995年まで全48作、1997年の特別編も含めて49作。
毎年のようにお正月に合わせて劇場公開されていました。
1996年に渥美清主さんが死去されてから伝説となってしまった映画
フーテンの寅こと車寅次郎とマドンナとの恋物語も話題になりましたね。
毎年誰がマドンナ役をやるのか非常に注目されていました。
そんな男はつらいよシリーズは全48作がDVD化されて販売もされています。
全48巻でそれぞれ2000円弱で販売されています。
DVDボックスも販売されていますが流石に50枚近くになるのでお値段もそれなりにします。
プレミアムボックスの定価は16万2000円!!
最近はインターネットを利用した動画配信サービスが発展しているので
男はつらいよも全48作を自宅にいながら視聴できるようになりました。
1997年の特別編ももちろん視聴可能です
インターネット動画配信サービスのU-NEXTでは男はつらいよの全48作を視聴可能です。
このブログのリンクからU-NEXTに登録すると31日間の無料トライアル期間がついてきます。
31日間の間、男はつらいよ他にたくさんの映画が見放題になるんです。
1話2時間近い映画ですので全話を一か月間で観るのは大変かもしれませんねw
でも31日間経過すると有料期間になり月額1990円がかかります。
U-NEXTでは数々の映画が視聴可能です。
1988年より男はつらいよと同時上映されていた釣りバカ日誌もちゃんと1作目から20作目まで見放題
スーさんとハマちゃんの息の合ったやりとりが心地よいですね。
最近はテレビでの放送も減って寂しい人もいるのではないでしょうか?
男はつらいよ車寅次郎は一度ハブに噛まれて死んでいた!?
みなさんは知ってましたか?
車寅次郎が一度死んでいるという事実。
男はつらいよはかつて1968年から1969年にフジテレビでドラマとして放送されていたんです。
ドラマの舞台は柴又帝釈天は出てこないという設定も異なるお話でした
このドラマの最終話、寅さんはハブに噛まれて死んでしまうというお話だったんです。
しかも寅さんがハブ狩りで一儲けしようとして奄美大島にいった時の出来事でした。
残念ながらドラマ版男はつらいよの映像はほとんど残っておらず
あるのは1話と最終話だけだそうです。
その貴重な話が収録されたDVDは今でも販売されています。
動画配信サービスでは残念ながらないようです。
1969年の最終話で寅さんが死んでしまったことが視聴者に大不評!!
その結果映画化されたんです。
当初は5回で終わるはずだった映画も大好評。
結局48作まで作られたところで渥美清さんがなくなってしまい終了。
さすがに寅さんを他の人が演じるなんて考えられないですからね。
ちなみに劇場映画としては50作目まで用意がされていたようです。
結局映画化されずにお蔵入りしていました。
晩年の渥美清さんは1991年には肝臓がんが見つかりそれが肺に転移しているような状況でした。
最終話となる48作目を改めてみるとわかりますが寅さんはほとんど立ったり歩いていたりしないことがわかります。
それだけ体調が悪化していたんですね。
享年68歳。早すぎる死でした。
U-NEXTについて紹介
U-NEXTではインターネット上で動画配信を行っている会社です。
ホームページから登録するだけでインターネット回線を利用していつでも動画を見ることができるんです。
U-NEXTの動画配信サービスを受けるには衛星テレビやケーブルテレビのような工事を必要としません。
インターネットができれば視聴が可能です。
テレビと違いいつでもどこでも好きな番組を好きな時間に好きなだけみることができます。
いつでも自由にみることのできるレンタルビデオみたいなものですね。
いままで好きな映画をみるためにはレンタルという手段が普通でしたね。
でも動画配信サービスではレンタルに比べてこんなメリットがあります。
- DVDを借りに行く必要もありません
- 借りたDVDを返却する必要もありません。
- 延滞料金の心配無し
- 観たい時にすぐ観れる
- 貸出中ということになることが無い
返しに行くだけに出かけるのも面倒です。
雨なんか降っていると面倒ですよね。
DVDのようにかさばることもないのでスマホや対応テレビがあればOK。
パソコンでも見ることができます。
たくさんの話数に分かれていても好きなときに見て、いつでも中断可能。
配信されている動画の画質もフルHDなので大画面テレビでもとってもキレイな画質で映画を楽しめます。
U-NEXT月額料金は?
月額料金は1990円(税抜)です。もちろん
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1990円っとちょっと高いなって思いますよね?
私もじつは思います。
でも毎月1200ポイントプレゼントされます。
このポイントは有料動画サービスを楽しむだけでなく、実際の映画館の割引にも使えるんですね。
U-NEXTでは電子書籍サービスも行っているのでそこでポイントを消化することも可能。
最新のコミックから本屋ではレジに持って行くことに抵抗のあるちょっとHなコミックも誰にも気にせず読むことができます。
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もちろん解約手続きは実施した直後に有効になるし確認もできるので安心ですね。
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最後にはアンケートがありますので回答して終了。
これで課金されることはありません。
男はつらいよに出演されたマドンナ一覧
リリー
松岡リリーは、11作、15作、25作、48作と4回もマドンナとして登場しています。北海道の網走で寅さんと気が合い仲良くなりました。すし職人と結婚した後に離婚し、旅回りの歌手としてキャバレーなどのドサ周り生活をしました。
歌手生活に終止符を打って鹿児島の男性と再婚した後に再婚した夫は亡くなり、奄美大島で加計呂麻島で生活していました。
リリーは、寅さんと結婚を決めましたが、喧嘩してしまい別れを決めました。
浅丘ルリ子
フランスの俳優のジャン・ギャバンと「スター千一夜」に共演しています。1970年には、チャールトン・へストンと「3時のあなた」に映画評論家淀川長治と山口淑子と対談しました。
「ギターを持った渡り鳥」「憎いあんちくしょう」赤いハンカチ」〔戦争と人間〕など昭和の映画史のなかで有名な女優です。
高見歌子
小説家の父が話すのが苦手の父との会話がなかなかできないと悩んでいる娘です。友達と旅行中に寅さんと出会います。陶芸家と結婚するが夫は病死になりました。
吉永小百合
1960年代に活躍する映画女優です。小学生の時にラジオドラマでデビューの後に、映画「朝を呼ぶ口笛」で映画デビューしました。1962年に「キューブラのある街」でブルーリボン賞主演女優賞に選ばれたのは現役の高校生が受賞しました。
橋幸夫とデュエット曲「いつでも夢を」で「第4回レコード大賞」に受賞しました。
坪内冬子
帝釈天の御前様の娘であり、寅さんの幼馴染です。寅さんから「出目金」と言うあだ名を使えられ、イヤな思いをしていました。奈良への旅行した時に寅さんと偶然に出会った時から、寅さんは気さくな性格に好きになったのですが、婚約者がいたことで寅さんは失恋しました。
その後に、結婚して幸せな様子は娘と寅さんと再会しました。
光本幸子
「男はつらいよ」で映画デビューしました。明治座の社長と結婚した後に離婚します、しかし、1984年には舞台で女優を復帰しています。
舞台では「伊豆の踊り子」「細雪」「雪国」に出演しています。テレビドラマは「人形佐七捕物帳」のなど出演しています。
坪内夏子
寅さんの恩師の坪内散歩の愛娘です。寅さんとは幼馴染です。偶然に再会した時に寅さんは好きになったのですが、後で医者と婚約しました。散歩先生のお葬式に婚約者がいたことを知った寅さんでした。
佐藤オリエ
幼い頃から映画や舞台を見て育っていました。高校卒業後に、女優としてデビューしました。「若者たち」で長女役を演じた時に注目されました。この舞台がきっかけで映画〔男はつらいよ」に出演しました。
映画出演は、「野生の照明」をはじめ「日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章」に出演しています。テレビドラマは、、花王の愛の劇場に出演しています。 「3年B組金八先生」では数学担当の平野怜子役で有名です。
志津
寅さんが止まった旅館「もみじ荘」の女将に一目ぼれしました。その後に寅さんは番頭として女将を手伝いました。しかし、志津は、大学教授と婚約しました。
新珠三千代
元宝塚歌劇団雪組で活躍していました。退団後に、東宝映画「袴だれ保舗」に出演した後から女優つぉいて活躍しています。代表作は、テレドラマ「氷点」では医師夫人役を熱演した後に、「細腕繁盛記」では、伊豆の温泉旅館を必死で頑張っている女将を熱演しました。
2001年に、心臓疾患のために手術を受けましたが心不全で亡くなりました。
宇佐美晴子
幼稚園の先生で、「とらや」に下宿先で」偶然に帰宅した寅さんと出会いました。寅さんが一目ぼれしたつかの間に、見事に降られてしまいました。
島崎真知子
式根島で小学校の同窓会に来ていた若者達を迎えに来た島のマドンナの島崎真知子に一目ぼれした寅さん。式根島から帰郷してから、父親の病気治療のために上京した真知子と再会した時に、プロポーズされたことを相談しました。寅さんは真知子の幸せのために諦めることにしました。
栗原小巻
最初はバレリーナを目指していましたが、演技の基礎が大事といわれて1963年逃げ気団俳優座に入りました。1968年には「三人姉妹」に注目をあびました。それから舞台を中心に活躍していました。
テレビドラマへの進出は、1964年の「虹の設計」にデビューしました。それ以降、名作ドラマ「黄金の日日」に出演しいてます。
映画は、高橋治監督の「ゴメスのナはゴメス」に初出演して以来、映画も出演をしています。
ロシアと関係が深く、1981年にはソ連の演出家A・エーフロスを監督に「櫻の園」に出演しています。その他にも日ソ合作映画「モスクワわが愛」に出演しています。
三浦節子
浦安の豆腐店の一人娘です。寅さん気まぐれで豆腐屋「三七十屋」に働いた時に一目ぼれをしたが、他に好きな人がいることで寅さんは失恋しました。
長山藍子
父親は新聞記者だったために中国で生まれ育ちました。終戦後には母親と日本へ引き揚げ東京に住む事になりました。小中学校から演劇部に所属して俳優座に入所しました。
テレビドラマでは「女と味噌汁」シリーズに石井ふく子関係のドラマに数多く出演しています。その他にも脚本家の橋田壽賀子の作品に数多く出ています。テレビドラマの「男はつらいよ」には寅さんの妹役に出演しています。
1979年から1981年にはクイズ番組にレギュラーとして出演しました。
明石夕子
売れない小説家と別居状態の夕子は、とらやに下宿した時に、また寅さんが一目ぼれをしてしまいました。しかし別居中の夫と再スタートすることになりまたもや寅さんは失恋することになりました。
若尾文子
高校中退後に、大映から芸能界にデビューしました。映画デビューは、久我美子の代役で「死の町を脱れて」です。1953年には「重大の性典」からマスコミから注目を浴びるようになりました。その後に、「祇園囃子」の演技で、映画界を代表する美人女優としての評価を受けるようになりました。
1971年には大映が倒産した後に、テレビドラマ「新平家物語」に出演した他に、舞台では「雪国」を出演しています。1988年には、ドラマ「武田信玄」のナレーションを勤めました。
太田花子
集団就職で東京に来ていたがホームシックにかかりふるさとに戻ろうとした時に、寅さんと出会いました。花子のことを心配した寅さんは保護していましたが、彼女を心配した教師が青森から訪ねてきて花子を連れて帰りました。
榊原るみ
幼い頃からモデルと子役で活躍していました。映画「男はつらいよ」の他にも「帰ってきたウルトラマン」のヒロイン役や「気になる嫁さん」などに出演していました。
アメリカに夫と一緒に移住していましたが。2010年から日本で帰国して女優業に復帰しています。映画は「泣いてたまるか」、「正義だ!味方だ!全員集合!!」も出演しています。日本に帰国後には映画では、「クロスロード」に出演しています。
テレビドラマは、1966年の「オーイわーいチチチ」から出演しています。2017年には、「アイドル×戦士ミラクルちゅーんず!」にも出演していますし、現在では「特捜9」にも出演しています。
六波羅貴子
題経寺の近くの喫茶店の女主人です。寅さんは、貴子の一人息子と遊んでいるうちに母親の貴子のほうが気になっていたのですが、二人の性格の違いを感じるようになり、そのままお互いの思いは消えてしまいました。
池内淳子
高校卒業後に、日本橋三越に就職しましたが、その後に和装と料理学校に花嫁修業をしていましたが、「サンケイグラフ」のカバーガールに応募したことが切っ掛けに女優になりました。
映画のデビュー作品は、1955年の「皇太子の花嫁」です。その後に数ある作品に出演をしています。
1962年にはテレビ界に進出しています。彼女の代表作は、「女と味噌汁」シリーズが高視聴率となりました。1974年から1980年まで日本テレビと専属契約を結んでいて、日本テレビ放送のテレビドラマに出演しています。
2007年に舞台の公演中に体調悪くし舞台を降板してしまいましたが。その年の8月からドラマに出演などをしています。